いろいろな瞑想を試してみた。子供も一緒にやってみた。

今回は私が今までに試してきた瞑想方法についてのお話。

一年前の家族旅行中にいきなり癌の宣告を受けた私が、より健康であるために、より幸せであるために行なっている毎日の習慣についての記事を書いた際、習慣の一つとして「瞑想をする」とあげたのですが、瞑想に関しての内容だけでやたらと長くなってしい、別途こちらに瞑想についての記事を上げることにしました。

ちなみに、他の習慣についてはこちらをご覧ください。

マインドフルネスや瞑想の大切さについては、様々な人の口から語られ、その認知度は以前に比べるとだいぶ上がっていると思います。学校、企業、医療の現場などで導入されるケースも増えてきているようです。ネットで検索すると、瞑想のやり方や効果もたくさん見つかると思いますので、今回は純粋に私の瞑想体験談を書いてみたいと思います。

私は、ほぼ毎日朝晩、瞑想の時間を取るようにしていますが、瞑想のスペシャリストでもコーチでもありません。ですが、瞑想を始め、かなりの確実での寝落ちを繰り返し、今では瞑想を楽しんでいる「ふつうの」人の私だからこそ、伝えられる体験談があるのではないかと思っています。 今現在、癌の治療を行っている方、これから瞑想を試してみたい方、子供と一緒に穏やかな時間を過ごしたい方などにとって、何かの参考になれば嬉しいです。


癌の治療中に行っていた瞑想

私は以前、ヴィパッサナーの瞑想の合宿や集まりに参加をし、癌が発覚するまでは、基本的にその教えに従って瞑想をしていました。正確には、ヴィパッサナー瞑想をしようとトライし続けていた、というレベルです。何せ、本来1時間ほど行うところ、かなりの確率で20分も経たずに爆睡してることの方が多いくらいですから。

白血病が発覚してからは、同じく血液の癌を経験した友人の勧めで、瞑想アプリheadspaceのCoping With Cancer(癌への対処)という30日のプログラムを行なっていました。一回の瞑想が20分程度で、瞑想の仕方だけでなく、癌の治療中に起こりやすい心の変化への向き合い方なども含めてガイドしてくれます。正直今までガイドに沿った瞑想が苦手だったのですが、このアプリを作ったAndyの声が妙にツボで。しっかり毎日(時には1日に2日分も)やっていました。

そのプログラムの中で指摘されたような感情、例えば怖いとか辛いとか、痛いとか、そんな感情を実際には自覚していなかった時でも、このプログラムをやることで、なんだか自分が癌に対しての強さを増しているような気分になったのを覚えています。癌への嫌悪を持って、「打倒、癌!このヤロウ!」というタイプの気持ちが湧いたのではなく、体の中に癌がいることは事実だけど、「私は強いから、何が起きても大丈夫。」とか「私はありのままで最強なんだ」というようなempoweringされた感情です。

そして、アプリを使うことで、世界のどこかにも、同じ癌のプログラムを聞きながら治療を行っている人がいるんだ、と思えることも私に力を与えてくれました。一人じゃない、みんなで一緒に乗り越えられる、と。

入院中は、看護師さんが「瞑想中につき、緊急以外の訪問は後にしてください」という張り紙を作ってくれたので、瞑想を開始する前にドアに貼っておき、終わると外すというようにし、誰にも邪魔されない時間を取るようにしていました。自宅でも、瞑想中は私の時間であり、それを尊重して欲しいという事を家族に伝えて理解してもらっています。

ちなみに、この約束をしていると、兄弟喧嘩の仲裁を頼まれそうな時、何度もおやつを催促される時など、部屋で瞑想のふりをしていると、私の姿を見て、黙って部屋を出ていってくれるので、たまに便利です(笑)。


今行なっている瞑想

今でも、起きてすぐ、寝る前にベットの上に座って瞑想をしています。5分の時もあれば、1時間ほどの時も。上に書いたHeadspaceやInsight Timerという他の瞑想アプリを使って、その時の気分(不安を解消するとか気分を高めるとか)や月の満ち欠けに応じた瞑想(満月の日の瞑想とか、冬至の瞑想とか)をやることもあれば、以前の通りヴィパッサナー瞑想をすることもあります。

私の中でやはり、自分を客観的に観察し、受け入れ、見守るというヴィパッサナー瞑想が一番しっくりくるものであり、その裏側にある教え(リンク参照)も私がそうでありたいという生き方を表しています。


そうである中で、その道を極めている方々からは、邪道と思われるかもしれませんが、今は敢えて様々な、瞑想方法を試したりもしています。その中で、その時々の自分に合う瞑想を見つける事もあれば、見つけようとするを繰り返しているだけの時もあります。

ガイドの方の声とも相性があり、心を穏やかにしてくれることもあれば、集中どころか心がざわざわし続ける時もあります。これを始めてから、自分にこんなにも声との相性があったことにびっくりしたくらい、合う人は合うし、合わない人は合わないです。

でも、今は色々試すことで、自分が「こういう気持ちの時はこの瞑想をしよう」というように、自分の心に対処するツールを増やしていきたいと思っています。

どんなに回数をこなしても、私の瞑想には波があり、集中できる時もあれば、頭の中の声が全く静かにならないこともあります。それでも、静かに自分の呼吸に集中すること、どんな思考や感情が沸き起こってもただ観察するだけの時間は、心を落ち着かせてくれ、自分へのいたわりの行為のようにも思うのです。


できない自分を責めない

以前の私は、なかなか集中ができない時、心を無にできない自分にイライラし、もどかしさを感じていました。いい瞑想をしようと奮闘することで、肩に力が入り、その時間が余計な疲れを引き起こすこともありました。

それがある時から「それもありのままの自分」として受け入れることにしたら、急にだいぶ楽になりました。そして不思議なもので、「無理に集中する」ことをやめた途端、集中力が高まったのです。自分への評価を全て抜きにして、「今日は心がいつも以上に騒がしいな」「あ、また考え事してた」「うとうとしてたよ」など、その時の状況を客観的に受け入れ、「よし、また呼吸に集中しよう」を繰り返すだけで、少なくとも瞑想しようと座っていた時間がリラックスする時間となったのです。

そして、同時にすごく気持ちのいい瞑想ができたときも、密かにニヤリと笑って流すようにしています。その時の感情に固着しすぎると、次にそのレベルでの瞑想ができなかった時に、辛くなりうる可能性があるから。もどかしさや、失望という感情が湧いてしまうから。 基本的に私にとって瞑想の時間は、どんな自分でもそのままを受け入れる時間なのかもしれません。


子供と一緒の瞑想

子供の寝かしつけの際には、一緒にメッタ瞑想をやる事が多いです。これは、「慈悲の瞑想」とも呼ばれるもので、順番に人を頭の中に浮かべて願いを唱えます。私たちの場合、座ったり寝そべった状態でリラックスし呼吸を整えた後、まずは自分自身を頭に浮かべて下記を唱えます。


May you know peace
(あなたの心が安らかでありますように)
May your heart remind open
(あなたの心の扉が開いたままでいますように)
May you know the beauty of your own true nature
(あなたは自分の本然の姿の美しさに気がついていますように)
May you be healed
(あなたが癒されていますように)
May you be a source of healing others
(あなたは誰かを癒す源でありますように)


日本語に直訳すると、響きが急に大げさになりました。

そしてその後、自分の大切な人、愛する人をイメージして同じ言葉を唱え、その後、自分の苦手な人をイメージして言葉を唱え、最後に多くの人もしくは地球をイメージして言葉を唱えます。

短時間でできるのに、なんだか心がポカポカし、終わると自然と笑みがこぼれ、優しい気分になるこの瞑想方法は子供達も大好きで、彼らの方からやろうやろうと誘ってくるほどです。寝る前だけでなく、子供達の心が少しざわざわしているなと気付いた時、大きな理由もなく、なんとなくお互いにチクチクやりあっているなと気づいたときなどは、みんなでこの瞑想を10分ほどやるだけで、みんながお互いに少し優しくなれたりするものです。 私たちは、いくつかのメッタ瞑想を試したものの、この方のやり方が好きでこの音声を聞きかながやっています。子供たちの母国語が英語のため、こちらも英語になりますが、日本語でも検索するといくつかやり方が出て来ますので、自分に合った方法を見つけるといいかもしれません。

動く瞑想

私は、座って心を静かにする瞑想も好きですが、動きながら瞑想状態になるのがすごく好きです。私としては普段、ムービングメディテーションやアクティブメディテーションと呼んでいますが、そう呼ぶと、特定の誰かが提唱する瞑想を指しているかのようにも聞こえるかもしれません。しかしここで私がいうのは、動きながら、何かの行動をしながら、瞑想しているような無心、もしくは穏やかさに包まれたような感覚になることを指しています。

他の思考や感情が意識から消えて、感覚が研ぎすまされ、活動に完璧に没頭している時間。スポーツ選手などは、「ゾーンに入る」という言葉を使ったりもしますが、激しい運動をしなくても、子供が本に夢中になっているとき、レゴで何かを作っているときなどでも、この「ゾーン」にいるようにも思います。 私にとっても、日々の生活のあちらこちらで体験する時間です。

いつもの森で木漏れ日を浴びながら歩いているとき。自分が森の一部であるかのように感じられるとき。

ヨガの太陽礼拝をしながら、自分の呼吸に合わせて、同じ動きを繰り返しているとき。自分の体の軸と先端を同時に意識しながら、心地良さを感じているとき。

スノーボードをしながら、板のエッジが雪の表面に触れる音だけが響いているとき。その感

覚だけを感じているとき。

味噌作りの際、まだ湯気の漂う、ゆでたての大豆を手で潰しているとき。

服に開いた穴やほつれを直すために、糸と針でダーニングしているとき。

川辺に座って、川の流れる音を聞いているとき。水面のキラキラを見つめているとき。

蜂の音を聞きながら、ラベンダーを収穫しているとき。などなど。

この、リラックスしながらも集中している、自分を感じながらも何か大きなものと一体であるような感覚。それが私は好きなのだと思います。そして、そのような時間が、座って行う瞑想の時間と同様、私の日常に必要不可欠な時間だと思うのです。


迷走する瞑想

きっと何かの瞑想を極めている人にしたら、私の瞑想は「迷走」でしかないのだと思います。ヴィパッサナー瞑想の合宿でも、他の瞑想を混ぜ込まずに、ヴィパッサナーの瞑想に集中するようにと言われました。

でも、私は今は迷走中でもいいと思っています。いまの自分が、瞑想も迷走も必要にしているように思うのです。

だからしばらくは、いろいろな瞑想を試しながら、自分の心を落ち着かせる方法を探っていきたいと思います。今は、迷走を繰り返しながら、自分の心が落ち着かないときに「戻る場所」「自分に帰れる方法」を増やして行こうと思います。それは、きっと薬箱に常備薬をたくさん持つこと以上に大切なことのように私は思うのです。

もしかしたら、「これだ!」という一つの方法に落ちつく日が来るのかもしれません。やっぱりヴィパッサナーだと、さらに深く習得を目指すことになるのかもしれません。でも、その日が来るまで、今はもう少し迷走を続けてみようと思います。

迷走万歳です。

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これは、ある日突然、急性骨髄性白血病との告知を受け、「白血病治療中」という新生活を始めた私が、寛解に至るまでの7ヶ月間、どのように癌と向き合い、毎日をより快適に過ごすために何をしたのかなど、「白血病暮らしのヒント集」としての記録です。自分の価値を押し付けたいのではありません。こんなことを感じて、実行した人がいたということを知ることで、何かのお役に立てたら幸いです。

これらの記録は医学的根拠に基づくわけでもありません。一口に白血病と言っても、それぞれの体調や置かれている立場は様々であり、これらのことが全ての人に当てはまる、役に立つとは限りません。それどころか、時には寧ろ治療の妨げになってしまうこともあるかもしれません。そのことをご理解の上、あくまでも参考程度に読んでいただけたらと思います。