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父とSiriと白血病の私。

75歳になる父と生まれて初めて一緒にジェットコースターに乗った。

しかも、結構怖いやつ。

75歳の父と、42歳の私が二人並んで。

そして、次の日、癌の宣告を受けた。

父ではなく、私がだ。

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息子よ、そうきたか

アメリカに住んでいる私たちにとって、それは久しぶりの日本旅行で、年始ということもあり、実家の両親と共に伊勢神宮にお参りに行くことにした。そしてその帰り道、我が家の8歳児の希望によりナガシマリゾートという遊園地に寄ることにした。

「日本初ハイブリットコースター」と彼らが誇る「白鯨」に乗りたいと言ったのも彼だった。園内では、私の母と、5歳の娘、密かにジェットコースターを怖がる私の夫が、ちびっこ広場で遊んでいる中、私は父と息子と行動を共にしていた。その日はあいにく小雨が降っていて、メジャーな乗り物の多くが閉まっていた。でも、その白鯨はオープンしていて、息子が乗りたいと言い出したというわけだ。

父は最近まで会社を経営していて、仕事が忙しかっただけでなく、組合や学校の役員、地域のボランティアなども引き受けていたために、いつも忙しい人だった。そんな中でも、毎年家族で旅行に連れて行ってくれたりはしたものの、私が生まれる前に仕事現場で足に大怪我をし、15年ほど前に再手術をするまで、長時間歩くことがかなりの負担で、旅行には杖を持っていくほどだった。だから、そんな父と子供の頃に遊園地に行った記憶はなく、まして一緒にジェットコースターに乗ったこともなかった。

そんな父が、私の息子のリクエストに嬉しそうに答えるのだ。「よし、いくぞ」と。最大傾斜度80度、世界で二番目に長いハイブリットコースターにだ。これらの数字を聞いても正直どれだけすごいのかは分からないものの、白く巨大なジェットコースターに、私の息子以上に嬉しそうに向かって行くのだ。

そして、大学生くらいの団体と共に白鯨に乗り込み、シートベルトの確認をしている時だ。「怖い。無理。嫌だ。」息子がいきなり怖がり始めた。そこで、とりあえず、すでに半泣きの息子のシートベルトを外してもらい、彼を降り口のプラットホームに移動させた時、ついでに息子はこう言った。

「後で感想聞かせてね」

え、自分だけ待つ気なのか。日本語が流暢でなく、人見知りもする息子がまさか一人で私たちの帰りを待っていると思わなかったのだ。全長世界2位だから、割と待ち時間かかるかもなのにだ。(この辺の情報、全く知らないけど)

そこで、私はせっかくだしと父の隣に移動し、父と初めてのジェットコースター体験をすることにした。とはいえ、急に父の年齢と体のことが気になり始めた。

「本当に大丈夫?隣で心臓発作とか嫌だよ。」

ジェットコースターが動き始める直前、父は答えた。 「俺は、血糖値は高いが心臓は丈夫だ!」と。

とはいえ、いつか父が気を失わないかとハラハラし、「もし、血糖値の高さが何かに影響したらどうしよう」という根拠のない不安も混ざり、最高速度、時速107キロの状況で、隣の人を何度もチラ見しながらジェットコースターに乗るという体験をすることとなった。お陰で、少し首が痛くなったものの、初めて父と乗ったジェットコースターは、なんだか照れ臭いような、嬉しいような、なんでもない普通の日にもらったサプライズプレゼントのように私の心を暖かくしてくれた。 まさか、次の日に白血病の宣告を受けるとも思わずに。


そして、その日がやってきた

2020年1月8日。まさに寝耳に水のごとく、癌の宣告を受けた。

人間ドックで、父と同じく血糖値が高めだとの診断を受け、家に帰った後、すぐに病院からの呼び出しを受け、白血病に間違い無いだろうと伝えられた。 医師との診断を終え、紹介状と会計を待っている間、実家に電話をし、状況を父と夫に説明した。彼らは、「大丈夫」という私の言葉を完全に無視し、急いで病院にやってきた。妙に冷静な私の横で、むしろ完全に平常心を失っていたのは彼らだった。


Siriとの対話

翌日、地元の癌センターに行き、正式に急性骨髄性白血病との病名をもらった。これから始まる治療のことや、入院の手続きなどの説明を医師から受けたものの、いきなり自分ごととして訪れた「白血病」についての知識はひどく乏しかった。それは、私にとっても、もちろん父にとっても。

車に戻ると、父は早速「白血病」について検索し始めた。

父がスマートフォンというものを持ったのは最近のことだ。ハンドバック型の電話こそ持ってはいなかったものの、バブル時代には電話付き自動車に乗っていた父。そんな父にとって、電話は「通話」をするものであり、最近まで俗にいうガラケーなるものを使っていた。スマートフォンに変えた後も、携帯は主に対話をするというスタンスは変わらずで、その他に家族から受信するメッセージを読み、麻雀ゲームをするモノであった。

そんな父がSiriに出会った。

父は知りたいことがあるとSiriになんでも質問した。彼にとっての検索は、ネット上で自分で検索するものではなく、Siriの答えを得る行為だった。 「Siri、明日の天気は?」「Siri、○○への行き方は?」 「Siri、オレゴンの州都は?」なんでも聞いた。

だから、もちろん父はSiriに聞いたのだ。

「Siri、白血病とは?」

車に乗り込んですぐ、Siriに父は質問をした。私はその時、Siriの返事を聞きたかったのかも分からない。私が頭で理解できる以上の速さで、多くのことが起こりすぎていて、少し心ここにあらずの状態だったのかもしれない。ただ、覚えているのはSiriが反応しなかったことだ。まだ携帯の扱いに慣れていない父は、ホームボタンを押すタイミングを逃し、Siriを起動させられなかったのだ。

もしかしたら、タイミングの問題ではなく、思った以上に父も動揺していたのかもしれない。


父よ、そうきたか

その後、父にとりあえず薬局まで車で連れて行ってもらい、私は父と一旦離れた。私がいない間、車の中で父は母に電話をし、Siriに引き続き質問をしていたようだ。私が車に戻った時、彼はまだ質問をしていた。

「Siri、白血病の生存率は?」

父よ、それ私の横で聞いちゃダメでしょ。

さすがに、私も笑った。癌を宣告されて、初めて吹き出した。そして、丁重にお願いした。「それ知っても意味ないから。どうしても知りたいなら、後でにして」と。

「そうだな、そうだな。ごめん、ごめん。」 父は素直に私の希望を聞いてくれた。


父の真っ直ぐな願い


命だけは助かってほしい。

後で聞いた話だが、父は私の白血病が分かってから、何度も何度も母にそう言っていたそうだ。だからこそ、初めから、治療方法よりも、入院環境よりも、まず「私の命の助かる可能性」が気になったのだ。

だから、Siriにもそのことを聞いたし、何ヶ月も一人暮らしをすることになったとしても、私の元に母を送り出してくれたのだ。料理も洗濯も今まで自分でしたこともないのに。

「あいつの命を頼んだよ」と。

なんの躊躇もなく。 私の命が助かるためなら、なんでもすると思ってくれていたのだ。


Nice to Meet You

私たち夫婦が14年前に結婚をした時、事務的な手続きだけをして結婚式を挙げなかった。その代わり、10周年を迎えた4年前、この10年間お世話になった家族と友人を招き、友人のファームでパーティーをした。

両親ももちろん日本から来てくれた。

みんなとの関わりを大切にしたかったから、パーティはそこまで大きいものではなく、両親を私たちの友達の一人一人に紹介することができた。父は、初めて出会う私の友達たちに、まず必ず「Thank you. ありがとうね。」と言った。

初めは流した。でも、もしかしたら、誤解しているのかと思い、「初めて会ったら、まずはnice to meet youって言うんだよ。」と伝えた。

「そんなの知っている」

そして、父は引き続き、私の友達に「ありがとう」を言い続けた。

私の友人たちは、父にとっても大切な人たちだ。離れて暮らす娘を自分の代わりに、近くで支えてくれている人たちだ。その人たちに彼がまず伝えたかったのは、やはり「ありがとう」だったのだ。

顔に満面の笑みを浮かべ、何度も何度も頭を下げながらありがとうを繰り返す父の姿が今でも頭から離れない。


そして今

私は今、無事に寛解の報告を受け、元気に生活している。最近は、フェイスタイムも、母ではなく父の携帯にかけるようにしている。せっかくなので、父の携帯をもう少し活用してもらおうと思って。そうすると、なんだか父はいつも以上に嬉しそうで、そんな父を見て、母も嬉しそうだ。

そんな二人に、私は心からのありがとうを送りたい。

私の友人に会った時に父がそうしたように、他のどんな言葉よりも、真っ先に「ありがとう」を送りたい。

何よりも、二人が必死に守りたいと思ってくれた、私の命をありがとう。

そして密かに、今度は息子も一緒に、父とまたジェットコースターに乗れる日を心待ちにしていたりもする。

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