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髪の毛を失うということ: どうせなので、それを楽しんでみた話。

今回は「髪の毛を失う」という話。

というよりも、「髪の毛を失うことを楽しんだ」話。 髪の毛が抜け落ち、坊主になってしまう。これって、結構ショックなことだと思います。まして、自分の好みで坊主にするのではなく、薬の副作用で割と短時間に髪の毛を失うということは、やはり切ないことだと思うのです。 富士額とおでこに生えるふわふわ産毛のせいで、前髪をあげておでこを出すことさえ躊躇していた私が、坊主になると聞かされた時、まず思ったのが「うーん、困った」でした。似合わないだろうな、というのがまず第一の感想で、次に浮かんだのが、手に溢れる自分の髪の毛を見つめながら嗚咽する映画のようなシーン。あー、きっと悲しいのだろうなと。

しかしこの脱毛経験、辛い経験として終わらずに、寧ろ「結構あり!」だったのです。家族や友達を巻き込んだ、私の脱毛大作戦(?)のお陰で、結果としては、この脱毛のプロセス全部が、なんだか楽しく貴重な思い出になったのです。

そんな私の体験談です。


ハゲになる準備をしてね

抗がん剤の副作用に「脱毛」があります。抗がん剤の種類や、身体の状態などにより、副作用の出方は人それぞれのようですが、この「脱毛」という副作用は、比較的避けては通れない副作用の一つのようです。私も医師やナースから「早かれ遅かれ抜けるから。色々準備しといたほうがいいかもね。」と言われたものです。 しかしながら、ある日突然「癌です。」と言われ治療を開始し、次に「ハゲますので、準備しておいてね。」と言われても、全てが初めてすぎて困るものです。

ただ、抗がん剤の副作用と言っても、抗がん剤を投与と同時に髪の毛が抜けるというわけではなく、実際に髪の毛が抜け始めるのは、投与から2週間後くらいなので、その間に色々な人と話をし、ネットを検索し、自分なりの作戦プランを立てることができました。

どうやら、みんなが言う「脱毛の準備」と言うのは(必要に応じて):  ・髪の毛が抜けた時のショックを軽減するために、事前に髪を切る、剃る。  ・ウイッグを用意する。  ・帽子を用意する。  ・素敵なスカーフの巻き方を検索する。  ・坊主になる心の準備をする。

などのことのようでした。そこで、私なりに準備をしてみることにしました。


被り物を準備してみる

私の場合ですが、普段から割といつも帽子をかぶっています。なので、数として帽子は既にありました。それに加え、髪の毛が抜けて頭皮が繊細になっても被りやすい、ソフトでシームレスな素材の帽子もいくつかもらったことで、帽子の準備は整いました。 ウイッグに関しては、病院で「無料のかつら試着と提供」をしてくれるというので、試してみましたし、友人がかなりファンキーなカツラもくれましたが、結論からいうと、全て一度も被らずに終わりました。

自分の脱毛→ハゲ→育毛のプロセスが割と楽しく、敢えて髪の毛のない自分を隠そうとか、癌であることを秘密にしようとかそういう気持ちがなかったのかもしれません。それに加え、治療中のほとんどがコロナ禍による外出自粛中であったため、他の人の目を気にする機会というのがほとんどなかったからかもしれません。


ハゲまでの道のりを楽しむ

ポートランド在住の私が、癌の告知を受けたのは家族で日本を旅行中でした。

久しぶりの日本ということで、美容院に行きちょうど髪の毛をボブにしたところだったので、私の治療開始時の髪の毛の長さは、このくらい。



ナースの方達に、ボブと言えど、「その長さがゴソッと抜けるのは、結構大変よ」と言われ、まずはショートにすることに。 で、私が取った作戦は、子供達に髪の毛を切ってもらうことでした。事前に私の髪の毛が抜けるという情報を共有した際、私が癌であるという事実以上に衝撃を受けていた子供達と一緒に新しいストーリーを作ろうと思ったのです。

つまり、「お母さんの髪の毛がなくなる」体験を、「お母さんの髪の毛を切ってあげた」体験に変えてみることにしたのです。だいたい、人生において、自分の母親の髪の毛を切れるなんてチャンスなんて滅多にないこと。しかも、髪型も決めていいよって、自分だったらなんだか楽しいなと。



まずは子供を巻き込んでみる


抗がん剤治療が始まって16日目。学校帰りに子供達が病院に来て、面会室と呼ばれる部屋にシーツを敷き、我が家の床屋さんを開きました。 *これ、入院前に自宅でやることもできたのですが、上記の通り、直前に行った美容院でのお会計が頭によぎり(笑)、ギリギリまで断髪を待つことにしました。



「自由にしていいよ」と言ったのに、子供達は真剣に私の髪型を考え、切ってくれました。そして、実際に切ってもらって気がついたことは、子供達がすごく誇らしげであったということ。彼らにとって、これは「お母さんの髪の毛を切ってあげた」に止まらず、「お母さんに自分たちの納得のいく髪型をあげた」経験になったのです。



私の役に立ったことを喜ぶ子供達の存在が心から嬉しく、とても誇らしげな彼らをほんとうに誇らしく思ったものです。そして、この脱毛のプロセス自体、なかなか悪くないな、と感じ始めたのです。 こちらが子供達の完成作品。我が子ながら、腕前はなかなか悪くない。普通にショートになりました。



抜けるものは抜けます


ショートにしたものの、やはり日に日に髪の毛は抜けていきます。特にシャワーで髪の毛を洗っている時には言葉の通り、「ごそっ」と大量に抜けます。髪の毛が抜けて坊主になっていくこと自体にセンチメンタルになるというより、抜けた髪の毛を見るて、白血病であることを再確認させられるのは少し悲しかったというのが本音です。



ただ、それも慣れるもので、シャワーの度に「今日はどれくらい抜けるかな」と興味が湧いてきたりもしていました。写真を撮って量を比べ、記録に挑戦!的な。



次に友達を巻き込んでみた


抗がん剤投与から23日目。友達二人を病室に招き、残りの髪の毛を剃ってもらうことにしました。頭部がかなり薄くなっていたものの、まだ結構髪の毛も残っていたのだけれど、毎日抜けていく髪の毛を見るより、なんだかスッキリしたい気分で、そしてそれを実行してくれるパーフェクトな友達がいたので剃ることに決めました。「髪の毛を失う」という結果的に起きることが同じだとしても、その友達と過ごす過程によって、その行為に新しい意味を付け足せるような気がしたのです。



友達二人は、終始励ましの言葉をかけながら、どんどんバリカンで髪の毛を剃っていってくれました。なんとも言えない不思議な気分で、正直予想に反し、たまに胸が締め付けれれるような感情も湧いてきました。でも、そんな時友達は手を握って、私の上下する感情を受け止めてくれました。そして、気がついたら、なんだかみんなでいっぱい笑っていたように思います。



全部剃るだけじゃん!という私に反し、試行錯誤を繰り返す友達を見て、自然に笑顔が生まれていました。



どんどん髪の毛を「失う」状況から、私はなくした髪の毛の代わりに、目に見えないパワーを「得た」状態になりました。その日の日記に書いてありました。「これでまた前に進んでいける」と。悲しくなり得る経験が、友達が生み出してくれた暖かいエナジーに包まれ、私をempowerする儀式に変わったのです。



よく考えたら、僧侶の方々と頭になったのです。より一層、マインドフルに、軸をしっかり持って行こうと、身の引き締まる思いになったものです。

挙げ句の果てには、心から「かっこいい」と尊敬する、フロリダで起きた高校銃撃事件のサバイバーであるエマ・ゴンザレスの姿が浮かび、勝手に彼女からパワーをおすそ分けしてもらった気分にまでなっていました。いろいろ大袈裟ですが。



彼女の倍以上生きてきているというのに、エマのように多くの人に強い影響を与えるような人生を送ってきてはいないけれど、少なからず私にもできることがあるはず、と髪の毛を完全に失ったこの日に強く思ったものです。これまた日記に決意表明が書いてありました。


抜けたものは生えてくる

そして実際坊主になってみると、洗顔フォームで頭も洗えたし、シャワーの後に髪を乾かす手間もかからないし、暑い日に川遊びに行ってそのまま頭も水につけられるし、坊主生活も悪くないものでした。ただ髪の毛がないと、思った以上に気温の変化に敏感になりました。気温が低いと頭皮から寒さに襲われます。風をいつも以上に冷たく感じます。逆に暑いと、頭皮がジリジリきますし、汗をホールドする髪の毛がないので、だらだら汗が額や首から流れ落ちてきます。 ということで、やっぱり基本的に帽子をかぶっていました。



そして、抜けたものは、やはり徐々に生えてきます。私はタイミング的に春の芽生えの時期とも重なり、なんだか愛おしさすら感じたものです。赤ちゃんの髪の毛のようにふわふわしていて、無意識に何度も触りたくなるほどの気持ち良さです。うちの子供たちにも人気で、座っているとかなりの頻度で、いい子いい子してくれました。



その後、これまた抗がん剤の副作用の続きのようですが、生えてくる髪の毛がびっくりするくらいのカールになっていきます。ケモカールと言われるのだと後から知りました。正直、結構扱いに困るのですが、珍しいカールを子供達も友達も楽しんでくれているし、実際に彼らも私も楽しみ、喜んでいるのは、生えてきた髪の毛以上のものだとわかっているので、それを象徴するぐりんぐりんカールをさらに愛してあげようと思っています。


失わない幸せを感じる

たかが髪の毛、されど髪の毛。やっぱりなくなるのは寂しいものかもしれません。でも、されど髪の毛、たかが髪の毛でもあるのです。避けては通れない道ならば、脱毛を楽しむくらいでちょうどいいのだと私は思ったのです。



髪の毛を失うことを嘆くよりも、髪の毛を失っても、本当に失いたくないものがあることを幸せに思いたかったのです。そして、その大切なものを失わずに済んだことに感謝するために私の心を使いたかったのです。

新しい髪の毛が生えるように、私の新しい人生も始まりました。そんな私は、今まで以上に暖かい気持ちに支えられています。


そしてボーナス

髪の毛を切る楽しさを覚えた下の子は、ある日いきなり前髪をハサミでざっくりいきました。お陰で、彼女と前髪ツインズになることができました。そんな経験、ハゲにならなきゃできなかったと思うと、なんだかボーナスをもらった気分にさえなるものです。


やはり、ハゲも悪くないものです。



今回は、私の体験をより分かりやすく共有するために、いつも以上に顔写真が多めのなっていますが、画像の転載をお控え願います。

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これは、ある日突然、急性骨髄性白血病との告知を受け、「白血病治療中」という新生活を始めた私が、寛解に至るまでの7ヶ月間、どのように癌と向き合い、毎日をより快適に過ごすために何をしたのかなど、「白血病暮らしの知恵袋」としての記録です。自分の価値を押し付けたいのではありません。こんなことを感じて、実行した人がいたということを知ることで、何かのお役に立てたら幸いです。

これらの記録は医学的根拠に基づくわけでもありません。一口に白血病と言っても、それぞれの体調や置かれている立場は様々であり、これらのことが全ての人に当てはまる、役に立つとは限りません。それどころか、時には寧ろ治療の妨げになってしまうこともあるかもしれません。そのことをご理解の上、あくまでも参考程度に読んでいただけたらと思います。

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